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2009年12月

2009年12月26日 (土)

十二月二十五日の街

 きのうは床屋へ出かけたが、いつもより込んでいた。

 平成二十一年十二月二十五日、あと少しで今年も終わる。

 髪を切って、さっぱりした気持ちで新年を迎えたい、という客が多いのだろう。

 順番を待っているあいだ、流行りの曲が流れていた。聴き入っていると、

「どうぞ」

 と声がかかり、鏡の前へ電動車いすを進める。

「スポーツ刈りの、いちばん短いので…」

 と伝えた。

 運動神経の障害で、ぼくの言葉ははっきりしない。ふだんから慣れていないと聞き取りづらい。けれど、耳を傾けていた店員さんは、

「かしこまりました」

 いつもよく利用するので、だいたいのことはわかってくれる。

 QBHOUSE、という床屋さんで、料金が千円と安い。ザ・モール仙台長町の三階にある。ぼくのアパートから電動車いすで行けるところにあり、カットも十分ぐらいですむのもよい。

 この日、ぼくの外出についてくれたヘルパーさんは、ほっそりしたルックスのよい、長い髪の娘さん(二十歳ぐらい)だった。午後の一時にアパートにみえ、明るい声で、

「尾崎さん、メリークリスマス!」

「あ、きょうは、クリスマスなんだ…」

 あらためて思い出した。いつもは雑用に夢中だったりして、日が過ぎてから気づくことが多い。

 はじめは二十三日に出かけようと思ったが、クリスマスイブの前日で、床屋さんは相当込むんじゃないかなぁと、ヘルパー派遣事業所の代表の方が心配してくださった。ぼくもそう思って、二十五日にしてもらった。

 電動車いすの後を、ヘルパーさんについて来てもらいながら、十三、四分でショッピングモールへ着いた。

 すると、いつものように、なんとなく甘いものがほしくなり、この日も床屋がすんでから、喫茶店へ寄った。

 ぼくはアイスモカを頼んで、ホイップクリームをのせてもらった。それを口元へもってきてもらい、ストローですする。やさしい甘さがしみわたり、ほっとする。

 ケーキも頼んで食べた。

 介助しながら、ヘルパーさんが呟いた。

「この木も、なんかクリスマスツリーになってる」

「ほんとうだ」

 白くて細い木があり、テーブルのまん中から天井まで届いている。金と銀のモールが枝にからんできらめいていた。

 あちらにも、こちらにも、クリスマスツリーがあり、ぼくもいつのまにか子どもに返ったように、その雰囲気を楽しんでいた。

 少しゆっくりしてから、喫茶店を出た。

 外は日が傾き、もう少しであたりは暗くなりはじめる。

 アパートへ戻って片付けが済んだ。ヘルパーさんは笑みを浮かべ、

「それでは尾崎さん、風邪ひかないように暖まっててくださいね」

「はい、ありがとうございます」

 ぼくもにっこりして、おじぎした。

 ヘルパーさんが帰ったあとも、部屋でお気に入りの曲を流し、少しのあいだクリスマスの街の雰囲気をふり返りながら、ゆっくり過ごした…。

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2009年12月22日 (火)

今宵はおいしい音を召しあがれ…

 舞台の上で演奏している人は、音を料理する人で、みんなコックさんの恰好をしている。トランペット、バイオリン、ドラムなどの、

「おいしい音を召しあがれ…」

 音楽工房104(とよ)による生演奏を聴いた。仙台フィルハーモニー管弦楽団の団員を中心にしたアンサンブルで、知的障害のある人のスポーツや社会参加のためのチャリティーコンサートだ。

 知り合いの人が実行委員になっていて、誘ってくれた。

 夕方六時半から開演で、場所は太白区文化センター楽楽楽ホール二階である。ぼくのアパートから人が歩いて二十分ぐらいのところだ。

 玄関を出ると、ヘルパーさんが目をまるくした。

「この寒さ、半端じゃないっすねぇ!」

 ひょろりとした若い男のヘルパーさんが、外出の介助についてくれていた。

 平成二十一年十二月二十一日、考えてみると、あと十日で今年も終わりなのだ。

 部屋を出る前にみていたテレビの天気予報で、仙台市の気温は、零度といっていた。夕方五時半近くにアパートの玄関を出たが、外はすっかり暗くなり、風が吹くと、冷たい空気が耳にあたって少しいたかった。

 電動車いすの後をヘルパーさんについてきてもらい、二十分ぐらいで着いたが、ほんとに寒い夜だった。

 会場へ入るとホールのいちばん前の席に案内され、そこに電動車いすをとめて演奏を聴き入っていた。

 プロが奏でる生の楽器のリズムと音色が心地よい。

 コントもあった。ドラムの人がばちを落として、演奏家がみんなこけて、どっと笑い声が響く。必殺仕事人の曲を吹きながら、客席の暗いところから、トランペットの人が出てきて、歓声が上がった。

 客席の多くは、幼い子や小学生のいる家族づれだったが、ぼくもいっしょにその雰囲気を楽しんだ。

「特別な楽器がなくても、身のまわりにあるもので、音が出ます」

 ジュースのびんや、ペットボトルを吹いて鳴らすことはよくありそうだが、水道の蛇口に使うホースを吹いて、しっかりした音が出てくるのにはびっくりだった。ダンボール箱とひもと濡れたフキンの組み合わせから出る音もある。違った大きさのフライパンを並べれば、ドレミファの音になる。次々にくりひろげられる演奏者の実演に、会場の子どもたちも、興味津々だ。

 いつしかぼくの心も解き放たれ、子どもに返った。

 遊び心があれば、思わぬものから、思わぬ音が出る。

 なんでもそうだ。

 このメッセージは、少しくたびれ気味だったぼくへの、クリスマスプレゼントだ、と思った…。

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2009年12月20日 (日)

冬の夜の街

 アパートの玄関から電動車いすに移らせてもらうと、外は暗かった。

 空には細い月があって、星がひとつ輝いている。

 平成二十一年十二月十九日、もう少しで夕方五時だ。

 障害者の施設から出て、地域のアパートで暮らし始めるときに協力していただいた障害者支援団体の忘年会があって、ついでに外の空気を吸いに出かけた。

 やせためがねの男のヘルパーさん(五十代)についてきてもらいながら、電動車いすで進んでいく。マンションや家々に明かりがついて、道をかすかに照らしていた。

 そこを抜けるとたんぼのある道で、さらに暗くなる。人影が、ぽつり、ぽつりと行き交う。

 やがて広い道路へ出ると、ショッピングセンターのネオンサインが、華やかさを添えていた。

 長町南から地下鉄に乗って、広瀬通りの駅で降りる。途中の駅で、車いすの人たちが乗り込んできた。これからいっしょに忘年会へ行く仲間だった。仲間の一人(二十代女性)が電動車いすで店まで案内してくれたので、迷わずにすんだ。

 電動車いすで席に着く。枝豆、ピザ、サラダ、ポテトと、つぎつぎテーブルへ運ばれた。それらをヘルパーさんにフォークで口へ入れてもらいながら、しばし時をすごした。

 音楽にのって、だれかの歌う声が流れた。脳性まひで電動車いすにのっている仲間の一人(二十代男性)だった。こんどはあちら、次はこちらとマイクをまわしていた。歌っている顔は、みんないかにも心地よさそうだ。

 ぼくはどちらかというと、食べるほうに夢中だった。カラオケの店だったので、料理はどうかと思っていたが、そのおいしさに目がまるくなった。

 ポテトがさくさくして、塩のかげんがいいのだ。ホワイトソースのかかったサラダを、ヘルパーさんに口へ運んでもらった瞬間、思わず、

「これ、うまい」

 これだけで、今年のつらいこと、いやなことも忘れられる。そして新たな気持ちで来年が迎えられる。酔いも手伝って、大きな思いになっていた。

 それぞれに、思い思いに発散して、新たな気持ちで来る年を迎える。忘年会とはよくいったものだ。

 店を出ると、外は雪が降っていた。やせためがねのヘルパーさんが、

「光のページェント、見て帰ろう」

 と提案した。人が込んでいそうだったが、せっかくなので、それもいいと思った。

 電動車いすを操作して進んでいく、人が込んできた。ぶつからないよう、そればかり気にしていたが、いつのまにかそこへ来ていた。

 寒い夜、いくつものカップルが寄りそっている。オレンジのやさしい光が無数にゆれて、ため息がもれるほど、ロマンチックな景色になった…。

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2009年12月17日 (木)

『初恋』の思い出

 アルバムを開いていたら、一枚の写真に目がとまった。

 シンガーソングライターの村下孝蔵さんが、車いすのぼくのそばでかがみ、やさしそうな笑みを浮かべている。

 たぶん撮ったのは、もう二十年も前になるだろう。近くにいた人に頼んだ。

 障害者施設から車で十数分ほどのところの公園で、ラジオの公開放送があり、彼のミニコンサートがあった。そのときのものだ。

 運動神経の障害があり、障害者の施設にいたぼくに、ひょんなことから知り合った、健常の友人が教えてくれた。

 その彼に車で迎えに来てもらって、出かけたときの写真である。いま四十二歳のぼくが、たぶん二十一か、二のときだ。

 村下孝蔵さんの『初恋』という曲が、テレビやラジオでよく流れていたのは、ぼくが十五、六のころだったろうか。

  恋をして寂しくて

  届かぬ思いを暖めていた♪

 あの子を思いながら、よく聴いていた。

 ちょうどそのころ、ぼくは障害児の施設にいた。春、夏、冬に十日ほどの一時帰省があって、そのときは、母の実家の敷地にある伯母の家に世話になっていた。ぼくが五歳になるころに父と別れ、それからずっと一人でいる母は、ぼくを伯母の家にあずけ、そこから仕事先へ通った。

 日中はときどき縁側へ出て、外の風景を眺めていた。

 道ばたを通る女の子がいる。はじめは気にもしなかったが、毎日のように同じ子が通っていく。

 施設に戻っても、ふっくらしたほお、コロッとした目の少女の姿があたまから離れなくなり、あの子を思うたびに胸が苦しくなって、夜もなかなか眠れない。

 どうしちゃったんだろう、と思ったが、気がつくと、

〈あんなかわいらしい子と、お話しできたら…。

 けれど、体も不自由で、かっこわるいし、言葉もうまくしゃべれない。

 どうせ、相手にされっこないよ…〉

 ため息をついているうちに、そのまま朝になる日が多くなった。

 そのうちぼくは机に向かい、彼女を思う気持ちのありったけを紙に書いてみたりする。けれどその気持ちは静まるようすがない。

 何を思ったか、それをもとに詩を書いて、河北新聞へ投書し、何作か掲載された。もちろん名前は書かず、S・Oというペンネームである。

 ぼくがかいたことが、だれにもわからないように…。けれど、この気持ちをだれかに知ってもらって楽になりたい、という二つの思いがあったのかもしれない。

 ペンネームで河北新聞にのったぼくの詩に、目をとめてくれた高校生のグループがいた。

 誰がかいた詩かもわからず曲をつけ、高校の文化祭で発表していたという。びっくりした。そのあと高校生たちは、なんとなく気になり、新聞社に問い合わせたところ、体が不自由で施設にいる人のかいたものだとわかったそうだ。

 拙い詩だったが、障害のあるなしに関わらず、ぼくの気持ちに共感してくれる人がいる。そう思えたことは、あのときのぼくにとって、どれだけ励みになったか…。

 村下孝蔵さんの歌をいっしょに聴きに行った友人は、そのときのメンバーの一人だった。

 しばらくその公園をうろうろした後、車いすから芝生のあるところへ降ろしてもらい、休むことにした。

「尾崎さんは、いつごろから村下孝蔵の曲、聴かれるようになったんですか?」

「中学を卒業して、少ししてからかなぁ。『初恋』とか『レンガ通り』とかすきで…」

「『初恋』かあ。ぼくもこの歌には思い出があるなぁ…」

 彼はそうつぶやいて、空を見上げる。そして顔をのぞき込み、

「尾崎さんの初恋は、いつですか」

「う~ん、十五、六歳のときだったかなぁ。すごくかわいかったんだよ」

「イエイイエイ、尾崎さん」

 いいながら、ひじでぼくの体をついた。

 缶ジュースを買いに行って彼が戻ってくると、ようすが落ちつかない。

「尾崎さん、村下孝蔵は、ちょっと太った感じの人ですよね」

「うん、ちょっと太ってる」

 舞台のあるほうを指さしながら、

「あの陰のほうに、上手にギターひいている男の人がいるんですよ。もしかしたら? 行ってみましょうか」

 車いすに乗せられて、その場所へいっしょに行って、のぞいた。

 小太りの男の人がいすに座り、ギターを膝において、缶ジュースを飲んでいる。

 こちらに気づいた。

 ドキドキしながら、

「あのう…、村下さん、サイン、お願いします」

「はい」

 と言って、やさしそうな笑みを浮かべていた。そしてサインしてくれた色紙をぼくの膝の上に置いた。

 村下さんはそれから、ぼくの車いすに興味をもち、

「ここがブレーキなの?」

 と聞いた。そして、ぼくにも押させてと言って、車いすを押してくれた。

 傾斜のところで、車いすを二、三メートル押し、

「このまま手を離したら、走って行っちゃうのかなぁ。離すよ、離すよ」

 などと言うので、ぼくはあせったが、ジョークだった。

 彼のステージがはじまると、公園は人で埋まり、身動きができないくらいだった。ぼくは前から、四、五列めで聴いていた。

 村下さんは『初恋』を歌いながらぼくをみつけ、目が合って、にっこりした。なんだか照れくさくなった。

 シンガーソングライター村下孝蔵さんは、歌のイメージどおり、優しい人だ、と思った。

 『初恋』は、ぼくの青春ソングだ。

 ふと懐かしくなって、動画サイトYouTubeで検索してみた。

 あのときの歌が流れ、女優の堀北真希さんのイメージ映像があらわれて、一瞬どっきりした。

 あのときの、あの子の姿が重なった。

 うれしくなって、あの子の思い出にひたっていた。

   (『初恋』村下孝蔵YouTubeより)

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2009年12月13日 (日)

外出

 きのうは、午後から仙台駅のほうへ出かけていた。

 平成二十一年十二月十二日、前日から降りつづいていた雨も午後にはあがり、風もいつもよりおだやかだった。

「雨は、たぶん、もう降らないでしょう」

 この日、ぼくの介助をしてくれていたヘルパーさんは、長い髪のほっそりした娘さん(二十歳ぐらい)だった。電動車いすの後ろをついてきてもらいながら、長町南のアパートから地下鉄に乗る駅へ向かう。空はどんよりしていたが、ときどき陽のかたちが雲の上から、かすかな輪郭をみせていた。

「たまには食事に行きませんか」

 同じ脳性まひという障害があり、ホームヘルプサービスを利用しながらアパート暮らしをしている仲間が誘ってくれたので、繁華街のほうへ出かけた。

 仙台駅のあたりへは、二か月ぶり近くだろうか。行き交う人も、冬のファッションになっている。もう十二月も半ばへ入ったのである。考えてみると、あたりまえだ。

 駅前近くの店で、仲間の人と、それぞれのヘルパーさんと、テーブルを囲んで食事をとりながら、しばし時をすごした。そこを出たときは、午後の五時すぎだった。

 冬のコート姿の人、背広姿の人が多く行き交い、若いカップルがあちらこちらで寄りそって歩いていく。それらをぼうっと眺めながら、電動車いすで進んでいると、

「あれはカップル、なんでしょうか?」

 ついてきてくれていたヘルパーさんが、いぶかしげにささやいた。

 見ると、ぼくの電動車いすの十メートルほど前を、あたまの禿げた男の人が、すごく派手な女の人と、肩を寄せて歩いているようだった。首をかしげ、

「親子かな、それにしても若い女の人は、なんであんなに着飾っているんだろう」

 なんとなく気になったが、二人は角を曲がったところで消えた。

 行き交う人の背中を見ながら、それぞれの人生を思う。きっと人の数だけ、みえない哀しみや辛さがある。それでも強い人は、ささやかな楽しみをみつけて胸を張って生きている。ぼくもそうありたいが…。いつのまにか、そんな思いに耽っていた。

「尾崎さん、あっちの人、なんか気になりませんか。すごい派手」

「あっ、ほんとうだ」

 ヘルパーさんの明るい声で、われに返った。

 地下鉄で長町南の駅に着いた。ララガーデン長町というショッピングセンターへ入ったら、アイスクリームがショーウインドーに並んでいて、おいしそうだった。抹茶アイスを頼んだ。

 スプーンで口へ運んでもらう。

 抹茶とミルクのやさしい甘さがひろがり、しみわたるようだ。ほっとした。そこでしばしくつろいで帰った…。

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2009年12月 7日 (月)

きっと、しあわせに…

 長町(仙台市)にある市民センター楽楽楽ホールの会場は、五、六十人ほどの人が集まって、それぞれのテーブルを囲んでいた。車いすの高齢の利用者さんや、体に障害のある人が多かった。

 平成二十一年十二月六日の午後、ヘルパー派遣事業所による忘年会をかねたクリスマス会があり、ぼくも電動車いすでそのなかに加わっていた。

「尾崎さんも、その日はあけててくださいね。サプライズもあります」

 代表の方にメールをいただいていた。ふくよかなまるい感じの、四十代の女のヘルパーさんである。

「サプライズって、なんだろう?」

 そのあと何日かして、やせためがねの男のヘルパーさん(五十代)が起床介助でみえたとき、その方の口からポロッと出て、ぼくも知ることになる。少し調子っぱずれな鼻歌まじりのヘルパーさんだ。

「私の私の彼は~、チャッチャッ、左きっき~♪」

 レパートリーは、いま四十二歳のぼくが、五歳になったばかりのころに流行っていた歌が多い。

 そのころぼくは、障害児の施設からそこへ帰省していたのか、施設に入る前なのか、いずれにしても、母の実家にいたときだ。近所の子どもたちがよく遊びに来ていた。そのなかの一人の女の子とおもちゃで遊んでいたときだけ、なぜか祖母や伯母、いとこ、ほかの子にからかわれていた。その意味も、よくのみ込めないくらい、ぼくは幼くて、

「もう、うるさい」

 とふくれていた。運動神経の障害でからだじゅうにまひがあるが、どちらかというと、左利きだ。

「私の私の彼は、左きっき~♪」

 そんなふうにはやされていた。

「ぼくにも、そんなことがあったんだぁ」

 このヘルパーさんの鼻歌をきいて、思い出した。

 その子はぼくよりひとつ下だから、四歳だったはずだ。けれども、運動神経の障害で、ときどき出てしまうよだれを、あの子はいやな顔も見せずハンカチで拭ってくれたり、おやつのお菓子を、ポンと口へ入れてくれたりした。

 いま思うと、思いやりのある子だった。いつもからかわれて、ふくれていたぼくの面倒を、やさしい笑顔でみてくれた。あの子はいま、どうしているんだろう。どこかで好きな人と、幸せに暮らしていてほしい…。

 このヘルパーさんの鼻歌に出てくる曲は、ぼくにとって、そんなおだやかな時が流れていたなかで耳にしたものが多く、懐かしい気持ちになってくる。

「ところで尾崎さん、知ってた? ○○さんと、○○さんね、結婚するんだってよ」

「えっ、ほんと」

「ほんとなんだって」

 どちらも同じ事業所の、ぼくがお世話になっていたヘルパーさんである。

「なるほど…」

 それでサプライズはなんなのか、ぼくにはわかってしまった。

 この日も、ぼくについてくれたヘルパーさんは、その鼻歌まじりの人だった。

 缶ビールを口元へもってきてくれた。それをストローですすっていたが、ぼくもいつのまにか、ほろ酔いかげんになっていた。

 急に拍手がわき起こり、真っ赤なドレスの人と、黒のタキシードの人があらわれた。華やかな雰囲気に包まれた。二人ともぼくの介助でアパートにみえていたヘルパーさんだ。

 女のヘルパーさんは、とてもきれいで、赤のドレスが似合っていた。が、男のヘルパーさんのタキシード姿を見た瞬間、プッと吹き出しそうになった。

 つい先日、この男のヘルパーさんがみえて、掃除機がけを一所懸命してくれていたが、その吸い口が、床ではなく、上を向いていた。

 気づいてくれるだろうか。それとも、ぼくから言ったほうが早いかと、一瞬迷ったことがあった。

 わかった。あのとき、落ちつきがなかったわけが…。

 けれど、きょうのタキシード姿はかっこいい、と思った。

 この二人なら、きっとしあわせな家庭になる…。そう思えた。

 サンタクロースが二人出てきて、さらに盛りあがった。よく見ると、ふくよかでまるいほうは、事業所の代表の女の方(四十代)で、もう一人は白髪まじりの男のヘルパーさん(六十代)だ。

 いかにも愛敬のあるサンタさんで、腹を抱えるくらい、似合っていた。

 一日が終わって布団に入り、その日あったひとつひとつのシーンを思い浮かべていた。サンタクロースになったヘルパーさんの笑顔が浮かび、

「尾崎さんも、いい夢を」

 と聞こえた気がした。きっといつも、みんなの幸せを祈ってくれているんだ。ぼくも目を閉じて祈ってみる。これまでよくしてくれた人の顔が次々浮かんで、そのしあわせを思った。

 心がおだやかになり、いつしかぼくは眠りについた。

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2009年12月 5日 (土)

どっきり怪現象?!

 長町南(仙台市)のぼくのアパートの部屋は、静まりかえっていた。

 アパートの二階、そしてとなりの部屋もし~んとしていて、外は風もなく、行き交う車の音も途絶えていた。

 そんないっとき、ぼくは少し体がくたびれて、いつも飲んでいる薬の作用で眠くもあり、部屋のまん中に座り込んだまま、ぼんやりしていた。

 運動神経の障害があり、あまりうまく手が使えないぼくは、家計簿も、予定のメモをつけるときもパソコンになる。言葉がはっきりしゃべれないので、込み入った話のときは電話では相手の人が聞きとれない。だからパソコンでメールを送る。

 割りばしをつけたサンバイザーをかぶり、それでパソコンのキーを押していくので、多いときは、ずっとあたまを振りつづけていることになる。少しやり過ぎるとめまいもしてくる。だから、ときどきぼんやりして、疲れを癒す。そんな、し~んとしたときだった。

 それは平成二十一年十一月三十日、もう少しで午後二時半になるころだ。 

 ぼくのいる部屋とキッチンのあいだの戸のガラスが急に鳴りだし、パーンと音が後ろのほうでした。

 見ると、いつも読書に使っていた電気スタンドが首から折れて落ちていた。

 そのタイミングで、

「ドンドン」

 玄関の戸をノックする音がした。

 小麦色の肌をした三十代の男の人が、ぎょろっとした目でまばたきしながらあらわれた。間の抜けた声で、

「こんにちは~」

 ヘルパーさんだった。

 いま起こったできごとにぼくは茫然としたが、電気スタンドをよく見ると、もう使えない状態になっていた。彼に処分を頼んだ。

「これって、いつ壊れたんですか」

 と聞かれ、いまです、と答えると、彼はさらにくわしく聞いてきた。起こった順番に説明していく。

「まじですか。えっ…。わたし、なんか、しょってきましたか?」

 気がつくと彼はびくびくしていて、そのようすが、おかしかった。

「だいじょうぶですよ。タイミングよく、偶然が重なっただけで…」

 ぼくは言ったが、彼はぎょろっとした目をパチパチしながら、

「尾崎さんは、こわくないんですか?」

 がっしりした体が、ちいさくなってふるえていた。

 たしかにこれは、ホラー映画のなかによく出てきそうなシーンになりえるのかもしれない。疲れていたりすると、ぼくだって、幻のようなものをみることは、たまにある。

 神経の疲れや、偶然が重なったためなのか、それとも霊なのか、聞かれたところで、ぼくにはどちらともわからない、と答えるだけだ。

 気にしたところで、はっきりするものではないし、ぼくの場合、そんなことで害があったためしもない。

 壊れた電気スタンドだって、障害者の施設にいたときの状況に合わせて買ったものだ。いまはそこを出て、アパートで暮らすようになり、本を読むときのセッティングも変わった。この電気スタンドでは使いづらくなっていた。そのうちいまの状況に合うものにかえようと思っていたので、壊れてちょうどよかったくらいだ。

 かりにもし霊だとしても、亡くなったおばあちゃんかもしれないし、おじいちゃんが買いかえなさいと言っているのかもしれない。いつも見守ってくれていて、ぼくの元気がなくなったとき、それを思い出させるために起こしてくれる現象かもしれない。そう考えるべきだ。

 むかしの中国に孔子という思想家がいて、

「鬼神を敬して、之を遠ざく」

 と言っている。みえないものを尊ぶ心は大切だと思う。けれども、あるのかないのか、はっきりわからないものを、よくないほうへ気にしすぎて、目の前のことがおろそかになってはいけない。そんな思いが込められているのだろう。ぼくも同感だ。

 が、午後になって、少しくたびれていたぼくのあたまには、一瞬ひやっときたのもたしかだ。おかげですっかりクリアになり、パソコンの作業がはかどった。

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2009年12月 1日 (火)

今年も十二月になり…

 起床介助でみえた主婦のヘルパーさん(五十代)が、ぼくの着ていたパジャマを洋服に取り替えながら、もう十二月なんですよね、とふと呟いた。

 おだやかな笑みを浮かべ、

「尾崎さんは、障害者の施設を出てから、冬を迎えるのは、もう三度目ぐらいになるんですか」

 まだ寝ぼけていたぼくは、少し間があって、

「そのぐらいになりますかね、たぶん、そうです…」

 いまのアパートでホームヘルプのサービスを利用し暮らしはじめてから、そのぐらいたったのかと、あらためて思った。

 たいへんなこともあるけれど、やはり施設を出てよかったと思う。

 いろんな人がいる地域にも、障害のあるぼくを見て、心ないことを言う人もいるけれど、それも含めて、人の暮らしなんだといま思う。ぼくにとってはそれよりも、日々の中で感じること、考えることを自分らしく文にしていけるところがなによりいい。

 体に障害があるからこそ、あるがままの自分をさらしていく。それができるのだ。

 平成二十一年十二月一日、きょうから師走である。

 カーテンを開けてもらった窓から、だんだんと差し込んでくる陽が、まぶしいくらいになった。風もなく、おだやかな日になりそうだ。

 昼になって、次にみえたヘルパーさんに電動車いすに乗せてもらい、近くの銀行やヤマザワスーパーへ行ったが、冬用のジャンバーを一枚上に着せてもらうだけでは、少し寒さを感じた。外へじっさい出てみると、冷たい空気が身にしみてくるようだった。やっぱり、冬なんだ。

「あ~、また年とっちゃうな~」

 ぼくのアパートにみえる、特に女性のヘルパーさんが、ため息をついている時期がある。すると、今年も、残り少なくなってきたんだな、とあらためて気づく。そんなとき、ぼくは何も言わず、弱々しい笑顔でいるばかりだ。

 年を重ねていく自分のすがたを想像し、ふと寂しくなることも、たしかにあったりするかもしれない。だれでもいいから、聞いてもらいたい、という話だって、あるだろう。ぼくも気がつくと、四十二だ。

「尾崎さんも、もう若くないんだから!」

 こちらへも強気で言ってくるようすにびっくりし、唖然としたときもあるが、その人が、将来へ何か不安を抱えているようにもみえた。

「いや、まだじゅうぶんに若いから、だいじょうぶよ」

 いつもにっこりしながら、おだやかにぼくを励ましてくれる人もいる。

 いずれにせよ、年は気にしたところで、ふえていくものだ。

 それでも生きているかぎり、自分が輝いていられる何かを一つみつけたい、と思う。ぼくにもそんな目標が一つある。

 脳性まひ、という運動神経の障害で、自分の思いや考えを、あまりうまく言葉で伝えられない。けれども、パソコンで文にできる。だからそれを生かしたい。

 まずは、ほかの人にわかりやすい文が書けるように勉強し、力をつけていくことだ。

 気がつくと、さっきカラスの鳴く声がしていたが、外はすっかり、日が暮れたようだ。もう少しで午後の五時半…。夕食作りと食事介助のヘルパーさんが、みえるころだ。

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