2009年7月 1日 (水)

チャララ~

 このところ、あまり心ひかれるドラマはなかったが、金曜九時の『必殺仕事人』は、何となくみていたら、いつのまにかハマっていた。

 和久井映見さん演じる常磐津師匠のお菊は、着物姿が似合って、すてきだ。

 松岡昌弘さんの経師屋の涼次も、口はぶっきらぼうだが、人情味のあるところがすきだ。忍者姿も、格好よかった。

 たしかに『必殺仕事人』は、殺しのシーンでゾクッとする部分があり、なんとかならないものかと思うが、人の世の不公平さを思うとき、

「こいつだけは許せねえという輩がおりまして」

 このオープニングのナレーションの通り、いつの世も、人が置かれる状況は、あるいは変わらないのかもしれないなぁ、ともひとり呟く。

「晴らせぬ恨み、晴らします」

 あなたに代わって、悪の輩を成敗する。仕事人は、弱い庶民のヒーローだ。

 テーブルにおいてもらっていた缶酎ハイを、ストローですすりながら、いつもほろ酔い加減でこのドラマを見ていたのは、ちょうど風呂から上がったあとの時間帯にやっていたからだ。

 脳性まひの症状で、体の力がずっと抜けなくて苦しいとき、また、四十二年の人生をふとふり返り、つらくなるときは、一時的でもいいから楽になりたい、と思う。それにはアルコール飲料とこのドラマが、いちばんいいようだ。

 なにより、虐げられた弱い庶民の苦しみへの共感があるところがいい。仕事人を殺し屋ではなく、仕置き屋に変えて、なんとかドラマにならないものか、とも思うが、救われない思いもあるか…。

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2009年6月24日 (水)

学生気分で…

 教室の窓からは、空の青と森の緑、そして建物の屋根がぽつりぽつりみえた。

 黒板の下に、低い台がある。車いすに乗ったままの姿勢だと、脳性まひの症状が強くなり、声が出にくいので、ぼくがそこに正座して少しでも楽に話せるように、学生さんがマットを敷いてくれた。そこへすわらせてもらい、授業がはじまるまで、ちょっとのあいだ、窓の風景に見入っていたのだった。

「また、授業の手伝い、お願いしてもいいかな」

 十代のころからお世話になり、何かと相談にのってもらっているS協会のSさんからの依頼で六月二十三日、東北文化学園大学の教室で、社会福祉の授業に、一員として加わっていた。

 ぼくの体には、脳性まひ、という運動神経の障害がある。動かそうとは思わないのに、手足がひとりでに動いたり、力が入って顔の表情がゆがんだりする。そのへんのところは、Sさんが教えてくれていたようだ。ちなみにS協会とは、体の不自由な子どもへの支援を中心とする団体だ。

 迎えのSさんの運転するワゴン車のなかで、ぼくのそばに座っていた女の学生さんが、少しかしこまって、緊張しているみたいだった。

 障害のある人のなかにも、上下関係や言葉づかいを気にする人がいるのも、健康な人と同じだ。場所や状況によっても、変わるだろう。ぼくの場合は話すとき、こちらの体の状態をみてペースを合わせてくれさえすれば、言葉づかいなんて、別にこだわらない。

 学生さんを見てにっこりしながら、

「どうぞお気づかいなく、気楽にしてていいですよ」

 と言うと、

「はい、ありがとうございます」

 と言って、少し肩の力をぬいていたようだ。車窓からみえたものや、いろんなできごとをみんなで話していた。

「尾崎さんのブログ、みました!」

 急に言われて、びっくりした。

「えっ、もう見ちゃったんですか? ヘンな記事ばっかりで、はずかしいです。できればきょう終わってから、みてもらいたかったです」

「いえいえ、わかりやすくて、とってもおもしろかったです。特に電動車いすでモールの女性下着売り場に迷い込んで、出られなくなった話とか」

「えっ、それも読んじゃったですかぁ…」

 ぼくは恥ずかしくなって、目をぱちぱちした。

 教室に着いてからも、ブログを読んでくれていた男の学生さんがいて、

「文章を読んでいると、詩みたいで、すてきだなって思いました」

 そんなふうに感じてくれるひともいたとは知らなかった。気を使って言ってくれているのだろう。それでも、ほめられると、やはりうれしくなる。

 別な女の学生さんに、

「いきものがかり、聴くんですかぁ。あたし最近の新しい歌、よくわからないんですよ。尾崎さんはくわしいですか?」

 と聞かれ、

「いえいえ、たまたまCMとか、ドラマで流れている曲が耳に入って、いいなぁって思うと、すぐ聴いてみたくなるんですよ。いつまでたっても、成長しないというか、あれなんですね、ハハハ……」

 いきものがかりは、若者のあいだで流行している三人の音楽グループだった。

 このブログを事前に読んでくれていたとは思っていなかったので、ぼくはなんだか恥ずかしくなった。

 昼の休みには、四、五人の学生さんが、大学をガイドしてくれた。外へも出てみる。葉をいっぱいつけたおおきな木があり、

「これは、いまは葉っぱだけだけど、桜です」

 男の学生さんが、立ち止まって教えてくれた。晴れていたが、かなり風が強く、葉がふるえていた。電動車いすでまた進んでいると、すぐうしろで悲鳴がした。

 ついてきていた学生さんのスカートが、風にあおられてしまうらしい。女の子が二人、ズボンにすればよかった、としきりに言っているのがおかしくて、運転しながらこらえるのがやっとだった。

 こうして数時間、学生さんたちと過ごした。

 非常勤で先生をしているSさんは、

「机の勉強だけだと、障害のある人を、障害の部分でしかみれなくなることも、あったりするんで、じっさいにふれあってみるのも、だいじじゃないかって思うんだよね」

 たしかにそれは、ぼくも思っている。学校を卒業して、たとえ福祉の仕事につかなくても、学生さんたちはそれぞれに、いろんな分野に就職するだろう。

「学生のころ、障害のある人と、みじかい時間だけど、過ごしたことがあったなあ。元気でいるかな…」

 そんなふうに思い出してもらえれば、うれしい。お店だったら、車いすでも入れるようにと、店内を工夫してくれるかもしれない。自動車のメーカーに勤めた人なら、ちょっとオプションをつけただけで、片手だけでも運転できる車とか考えてくれるだろう。

 生まれてから死ぬまでずっと健康だなんて、だれだって、そんなことは、ありえないんじゃないかと、最近ぼくは思うようになってきた。なのに人は、健康なうちはそのことに気づかず、事故で障害をもってから、あるいは不治の病になってから、初めてうろたえ、先が見えなくなるのだ。

 たとえそうなっても、命があるかぎり、人としての誇りをたいせつにされ、生きがいをもって日々を送れる社会であってほしいとは、だれでも望むことだろう。

 ぼくはみじかい時間だけでもいいから、義務教育、あるいは学生のあいだに障害をもった人や難病の人とふれあう機会をつくるべきだと思っている。

 どんな人の姿も、いつかそうなるかもしれないわが身の姿である。そう気づいて福祉の問題に関心を持つか、あるいはまた別の考えを持つかは、それぞれの個性で判断すべきことだ。

 帰りには運転のSさんのほかに四人の学生さんが送ってくれた。ぼくのアパートで、みんなでジュースを飲みながら、社会福祉への思いを語った。

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2009年6月20日 (土)

癒しの雨

 空は雲が広がり、木の葉の色も、暗い感じがする。

 長町南のぼくのアパートの窓からみえる、きょうの風景だ。

 草も木もじっとして、休息をとっているようにみえる。

 草木だって、雨が降らなければ、車の排気ガスやほこりがたまり、どんどん汚れていく。晴ればかりでは、いくら早く成長したところで弱ってしまい、途中で枯れてしまうだろう。

 このどんよりした景色、空の雲や雨だって、いつのまにか積もったチリを流してくれる、浄化と癒しの働きなんだ、と思った。

 パソコン作業からいったん離れ、窓の外をぼんやり眺めていた。

「自然だって、笑ったり、泣いたりして、気持ちに整理をつけているんだ…」

 人はよく笑うが、泣くことにはなぜか抵抗を感じてしまう文化や習慣がある。生きていくうえではじゃまになるからと、どこかに押しこんでふたをしていた心の断片たちが、存在を訴えかけてくる。ときどきは、気を向け、癒してあげることも必要だ。

 どんよりした風景をみながら、ぼくのなかでずっと、放っといた気持ちって、なんだろう、と思った。

「何となくきょうは、『いきものがかり』が、聴きたいな…」

 いきものがかりは、いまCMなどで曲がよく流れている、三人の音楽グループだ。

 四つん這いでコンポの場所へ這っていき、再生ボタンを鼻で押す。

 ボーカル吉岡聖恵さんの歌声には、そんなぼくの心の断片を癒してくれるやさしさがある。

 布団にごろんとなり、足をのばして楽なかっこうで目を閉じる。

「泣いて 笑って つないだこの手は♪」

 いつのまにか心地よくなって、思わず口ずさんでいる。ひとつひとつの歌に物語があり、気がつくと、主人公になっている自分がいる。

 四十二歳にもなって、若いねえ、というひともいるが、くたびれたときに聴きたい歌は、人によってちがうものだろう。ドラマに出ていた女優さんにもあこがれる。年がたまたま、かなりちがったって、だれにかまうもんか。

 心が癒され、元気になれれば、それでいい。

 ぼくはまた、パソコン作業に向かうんだ。

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2009年6月13日 (土)

「オカマなんすかぁ?!」

 きのうは区役所へ用事があり、近くのザ・モール仙台長町の二階にある紳士服売り場へ寄った。

「この半袖のシャツ、いいなぁ。でも値段がちょっと高すぎだ。またこんどにしよう」

 ひとり呟き、買う必要のある夏向きの衣服の目星をつけながら、電動車いすで進んでいた。

 いつのまにか、いつもとちがう婦人服売場に迷い込み、抜け出せなくなってしまった。

「右かな。いや、左だ」

 いくら車いすのレバーをきって進んでも、女性の下着が並んでいる。

「やばいな。どうしよう…」

 行けども行けども、あらわれてくるのは、女性の下着や化粧品ばかりだった。

 いつだったか、知り合いの人と食事へ行ったとき、恋愛の話で盛りあがっていた。

「ぼくにはあんまり、関係ないなぁ…」

 そう思ってみなの話を聞きながら、ぼんやりしていると、

「尾崎さん、恋愛は? 彼女はいるんですか?」

 ずっと黙っているので気になったのか、十九の女の学生さんがふってきた。

「ぼくですか。う~ん。ぼくは、半分女なので…」

 しどろもどろでいると、かたわらで介助をしていた若い男のヘルパーさんが、いぶかしげに聞いた。

「尾崎さん、やっぱり、オカマなんすかぁ。男がすきなわけじゃ、ないっすよね」

 一瞬、彼とのあいだに異様な空気が流れた。ぼくはあわてて、

「まさか、それはないですよ。ハハハハ」

 すると、女の学生さんが、

「あ、わかります。あたしも半分男みたいなもので…」

 そう言ってフォローしてくれたので、ホッとした。

 思ったことはなんでもストレートに口にし、白黒をはっきりさせたがるのは、若い男の人に多い気がする。女の人はオブラートにつつんで聞き、こちらのようすによっては話題を変える。そんな傾向は少なからずあるみたいだ。

 自分はどっちだろう。この分け方でいくと、やはり、なんでもぶつかっていく男らしい気概が、ぼくには、少し足りないようだ。

 だからといって、ぼくは男がすきなわけではないし、女装の趣味もない。

 われにかえったぼくは、女性の下着の売場から出られなくなって、途方に暮れていた。

 すれちがう女性客は目が合うと、なんだかにっこりする人が多かった。同じ売り場でくるくるまわって、女性の下着を選んでいるのかしら。そんなふうに、ぼくの苦笑いが、あるいはたのしそうな笑顔にみえたのかもしれない。

 なんだか恥ずかしくなり、どうも、と行き交う人にあたまを下げる。

「なんとか、早く、ここを出なければ…」

 右へ左へ進んでいるうち、ようやく大きな通路へ出た。ぼくはホッとした。

 外へ出ると、歩道脇の緑の植え込みに、ちいさな黄色い花が、あちこちにひらいていた。そこに電動車いすを寄せた。かわいい花だ、と見入っていると、

「フフ、こんにちは。おじさんはいつも、ぼんやりだから、ヘンに思われるんだよ…。男なら、もっと男らしく、しっかりしなきゃね」

 幼い子のはずんだ声が、きこえた気がした。

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2009年6月 7日 (日)

近くの手料理屋さんへ

 いつもお世話いただいているヘルパーさん三人と、手料理の店の座敷の部屋で、テーブルを囲んでいた。

 鮎の塩焼きやカツオの刺身など、大小の器に盛られ、彩りを添えられていた。

「おいしそうだなあ」

 思わず呟きながら、まずはビールと、ストローでひと口すする。

「尾崎さんは、お酒を飲むときも、そうやってストロー使うの? わたしだったら、すぐに酔っぱらっちゃう気がするけど…」

 四十代後半のふくよかな女性のヘルパーさんが、そう聞いた。

「はい、飲むときはいつも、こうしてます」

 と答えると、ちいさな目でにっこりしながらうなずいた。そして、

「そうだ。まだ日にちはあるけど、きょうは尾崎さんの誕生会ですよ」

 気がついてみると、あと何日かで、ぼくは四十二になるのだ。誕生日が迫っていることなど、すっかり忘れていた。

 夕べはそうして、長町南のぼくのアパート近くの店にいた。

 だれかとたまに飲みに行くときは、いつも仙台駅のほうである。そのあたりしか知らないぼくに教えてくれた。

「実はね。尾崎さんちの近くにも、とっても料理のおいしい店があるのよ。こんど行こうね」

 それが、きのう実現したのだ。

 ぼくの介助のほうを担当してくれていた女性のヘルパーさんは、年齢はよくわからなかったが、話の流れから、ぼくと同じくらいかと思った。鮎の塩焼きをほぐし、箸で口元へもってきた。食べようとすると、店のママさんが、

「尾崎さんは、歯はじょうぶかしら? もしできれば、そのままかぶりついたほうが、おいしいわよ。はらわたも、よけちゃってるけど、そこがおいしいんだから」

「そうなんですか。ぼく、歯、じょうぶなんで、そのまま食べてみます」

 ヘルパーさんにそのようにして食べさせてもらった。すると、たしかに、

「食べ方ひとつでも、こんなにおいしさが違うんだ」

 ママさんの言ったとおりだ。

 場所をとる電動車いすを、ちいさな店内に置かせてもらっている。脳性まひの障害のあるぼくのような客にも、店のママさんは気さくに話しかけてくれた。細やかな心づかいが身にしみた。

「尾崎さんさあ、ブログに自分のこと、オッさんなんて書いているけど、オッさん言うのはやめたほうがいいわよ。だって、オッさんにはみえないもの」

 ふくよかな女性のヘルパーさんが言った。すると、やさしそうな笑みをたたえた白髪まじりの男性ヘルパーさんが、

「尾崎さんが、オッさんだったら、わたし、どうなるんでしょう? えへへ」

 と言い、少し間があって、介助の女のヘルパーさんが、

「ひいオッさん、じゃないですかねぇ」

 と言った。

「ひいオッさん、ですか…」

 白髪まじりのヘルパーさんは、ひとりしずかに、という感じで呟いた。年のころは、六十代後半だろうか。その瞬間、皆の笑い声が、店内に響いた。

 夕方六時ごろから飲みはじめていたが、時計をみると、いつのまにか、もう夜も十一時近くなっていた。介助のヘルパーさんの、つぎの利用者さんの家を訪問する時間も迫っている。こんなに時がたっていたとは気づかないでいた。

 座敷の部屋から、電動車いすに乗せてもらう。ほかのお客さんたちが、見送りの声をかけてくれたのが思いがけず、うれしかった。

 介助の人と、手料理の店をあとにした。来たときと同じ道を帰ったが、空は暗闇で、雨がぽつりぽつりと降っていた。電動車いすを進めながら、心のなかでふり返った。

「生きていればいろいろあるけど、何があっても、負けないで…。お互いがんばりましょう」

 店の外へ出て見送ってくれたママさんの、笑みをたたえたまなざしが、そう言っているように見えた。

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2009年5月31日 (日)

サンスベリアが、また伸びた?!

 きょうは、午後にみえた三十代の小麦色の肌をした男のヘルパーさんが、部屋に入るなり、

「あれ、あの観葉植物の葉っぱ、また伸びたんじゃないですか?」

 言われてみると、たしかに、同じ高さだったはずのそばの本棚より、もう二十センチはあたまが出ている。ぼくはうなずきながら、

「もう成長は止まった、と思っていたんだけど…」

 長町南のアパートのぼくの部屋には、観葉植物「サンスベリア」がある。

 テラス側の窓わきに置いているが、手入れは、月に一度か二度、ヘルパーさんに水やりを頼み、あとは濡らしたティッシュで葉っぱのほこりを二、三か月にいちど拭いてもらうぐらいだ。それだけなのに、葉っぱはぐんぐん育っている。

 この部屋に越したのは、一昨年の十一月だったが、そのときにもってきた。

 まだ少しもたたないころ、髪を微妙にちがう色合いのいくつかの茶で細いしまに染めた若い女のヘルパーさんが、ぼくの肩をポンとたたいて、それを指さした。大学にいる友だちの話もたまにしてくれていたから、そのぐらいの年ごろなのだろう。はじめてのときは髪型が今風で、格好いいなぁと少し見入った。おっとりした感じで、

「尾崎さん、この観葉植物、はじめから、こんなに大きかったんですかぁ」

 と聞いた。みればいつもそのころは、そばにある120センチの本棚と同じ高さだった。

「これですね、買ったときは、半分ちょっとしか、なかったんですよ。こんなんなるとは、思ってもみませんでした…」

 すると、はずんだ声になり、

「すごいじゃないですかぁ。尾崎さんも、たくさん食べて、成長して、もっと大きくなりましょうよ」

 ポンと肩をたたいた。ぼくはつぶやく。

「もう、四十一になるんだけど、まだ成長するかなぁ?」

 考え込んでいたが、はっと気づき、

「それってぼくが、チビってことですかぁ。ひどいです。でも、たしかに、お店で洋服選ぶときは、苦労するんです。とくに大人用のズボンは長いのばっかりで…」

 彼女はフンといって、いたずらっぽく笑った。

「だから、尾崎さんも、もっとおっきくなってね…」

 そして、ポンと肩をたたいた。

「はい、そうですね。がんばります」

 と答えたが、いったいぼくは、何をがんばれば大きくなれるんだろう、と首をかしげた。

 心身が少しくたびれていた時期だった。そんなやりとりをしているうち、気持ちが軽くなり、元気をもらっていた気がする。

 きょうの午後の男のヘルパーさんも、同じ事業所からの派遣で、サンスベリアの葉の伸びぐあいから、自然とその話になった。

「ぼくは、チビ、なんですかね」

 小麦色の肌をした彼は、まん丸い目をパチパチし、

「う~ん」

 困った表情が、いかにもひょうきんだった。

 サンスベリアの葉っぱたちは、鉢のなかで寄り合い、身をよじりながら笑っているみたいだ。毎日の人とのやりとりを、まるで漫才だ、と思われているのだろうか。

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2009年5月24日 (日)

近くのスーパへ

 長町南の、ぼくのアパートの近くのヤマザワスーパへ昼ごろ、食材の買い出しに行った。

 ヘルパーさんにはメモにかいてある食材を、適当に選んでカゴに入れるように指示する。ぼくはひとり、電動車いすで進みながら、店内の品を見てまわっていた。

 ちいさな女の子が行く先々でそばで立ち止まり、見あげているのに気がついた。髪はおかっぱで五、六才ぐらいだろうか。

 電動車いすの上で、ぼくの手足は、ドタン、バタンと動いていた。大きな音にびっくりした拍子に、わきへおりていた片方のうでが、急にあがったりする。

 コロッとした目を見ひらきながら、

「どうしたのかな?」

 そう思ってみていたのかもしれない。

 驚かしちゃったかな。これは脳性まひって障害でね、だれかにあやつられているみたいに、体が動いてしまうんだ。そうしようと思っているんじゃないんだよ。いうこときかなくてね。まるでひとつの体のなかで、だれかとプロレスしている感じ、といったらヘンだよね。

 心のうちで、そう語りかけていた。みると、女の子は、かすかな笑みを浮かべていた。

「おまえは、いちいち気にしすぎだ。体の障害なんて、べつにいいじゃないか。だれだって、みえない苦しみをせおって生きている。おまえだけじゃないんだ。そんなものから、もっと自由になれよ」

 心の底から声がした。自意識過剰になっていたのは、ぼくのほうだ。女の子の澄んだ瞳が、そう気づかせてくれた。

 ヘルパーさんが、戻ってきた。

「尾崎さん、メモにあったの、カゴに入れてきました」

 ぼくはそれを確認し、にっこりしながら、

「ありがとうざいます。じゃ、いっしょにお会計へ…」

「了解です」

 帰り道も来たときと同じに、小鳥のさえずりが家々に響いていた。

「なんか、きょうはポカポカして、気持ちがいいっすね」

 三十代前半の、いつもおだやかで、おっとりした男のヘルパーさんだ。

 ぼくは電動車いすで進みながら、

「ほんとに、そうですね…」

 にっこりして、うなずいた。

 道ばたの草や木の葉が、陽の光を浴びて、うれしそうに揺れていた。

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2009年5月18日 (月)

チョボラ

 地下鉄長町南駅である。

 エレベーターのボタンへ、柵の向こうから男の子が手を伸ばしていた。小学五、六年生だろうか。

 ぼくは、ちらっと見ながら、

「どうしたのかな?」

 男の子はタッチすると、そのまま去ろうとしていた。

 ぼくは出かける用があり、地下鉄長町南駅から仙台駅のほうへ行こうとしているところだった。

 電動車いすで進んでいたぼくは、エレベーターの前で止まる。そのタイミングで、ドアがひらいた。

 はっと気づき、

「あの子…」

 ふり返りながら去って行く男の子へ、ぼくはあたまを下げた。

 あんな紳士みたいな心づかいは、なかなかできるものではない。しかも、まだ小学生だ…。

 みあげた子もいるもんだ、とつぶやく。胸がじんわり温かくなった。

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2009年5月13日 (水)

クモ

 パソコンをして、くたびれると、ふうっと一息ついて、布団によこたわる。気がつくと、ぼくの顔のそばで、クモが巣を作っていた。

 細い足の動きをみていると、思わず背筋がざわついてくる。

 アパートの部屋に、ぼくひとりでいるときで、何日か前のことだった。衣服のすき間から入ってきたりはしないか。体を這うようすを想像し、身震いした。

 つまんで外へ出したい。けれども、脳性まひで、手足がうまく動かない。クモは、こちらのとまどいのようすにもかまわず、無心に巣を作っている。

 ときどきVサインを出して、

「いっしょに休もうぜ!」

 と言っているみたいだ。

「なんで、こんなところに、入ってくるんだよ…」

 そう思ってじっとみていたが、そのうち、まあ、いいか、とあきらめた。

 どうにもならないことを、くよくよしているくらい、ムダなことはない。いまここで、このクモと出会ったのも、何かの縁だ。

「ここにいたけりゃ、いてもかまわないよ」

 そう思ってすきなようにさせていた。すると、そのうち、自然とどこかへいなくなってしまった。

 若い女のひとが、

「なんで~、クモだよぉ。かわいいじゃん」

 といって、つまんで手のひらに乗せたりもする。

 クモがかわいいとか、ゴキブリがかわいいとか、そんなふうに言うのは、ぼくの小さいころは、聞いたことがなかったなぁ、と思う。

 足が六本あって動いている姿形から、なんとなく気味の悪い感じがするが、毒をもっていなければ、べつに害があるわけではない。蚊や害虫をクモの糸でとってくれるから、かえって益虫になるのだ。

 クモは見た目で、ずいぶん損をしている、とも思っていたが、ちがう。ひとつの見方、イメージにとらわれていたのは、ぼくのほうだ。

 巣を作っているクモはそれに夢中で、だれがどう思ってみているかなんて、眼中にはない。ただ黙黙と、自分のペースで日々いとなんでいるだけだ。クモは休んでいるとき、どんな感覚でいるのだろう。何が楽しかったりするんだろう。

 いつかぼくも、いろんなことに心がとらわれてしまう、未熟さを卒業したい…。無心に巣作りをしているクモの姿をみて思った。

 きょうも一日、ぼくのやるべきことも終わった。夜はゆっくり休もう。風呂上がりの缶酎ハイとテレビドラマが、ぼくにとってはここのところ、いちばんの楽しみだ。

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2009年5月 8日 (金)

CMの役所広司さんも…

 「ダイワハウス」と言うべきところで、なぜか赤ちゃん言葉になってしまう、大和ハウス工業株式会社のテレビCMがある。

 指摘されると、俳優の役所広司さんは、ムキになり、

「言ってないよ!」

 相手が映画かドラマの、年上の監督であっても、そこだけため口になる。

 監督は、まじまじと見ながら、心の中だけでつぶやく。

「なんで、ダイワハウチュ、なんだ。役所君…」

 ぼくはアパートの部屋でひとり、風呂上がりの缶酎ハイをストローですすっていた。酔いがまわると、脳性まひの苦痛が緩和されてくる。楽な気分でテレビをみていると、このCMが流れ、吹き出しそうになった。

 どうしてムキになって、否定するんだろう。まわりはなぜ、そんなに気を使うのか。いろいろ想像し、おかしくなった。

「なんでここで…」

 しっかり言いたいところで、ちがった言葉になり、あとでため息が出ることは、ぼくもよくある。だから、このCMが、なんとなく、引っかかったのかもしれない。

 舌がうまく回らなくなるのは、脳性まひという、運動神経の障害があるからだ。

 ある看護学校のお祭りに、何人かで行ったときもそうだった。

 学校の廊下の端で、電動車いすでぼうっとしていると、通りがかりの髪の長い女の学生さんに声をかけられた。やさしそうな笑みを浮かべていた。

 お話ししながら、学生さんの制服にぬいつけてある名前をみる。ぼくは、「○○さん」と言おうとした。ところが舌がうまく回らず、

「○○ちゃん」

 となった。

 よりによって、会ったこともない女のひとの名前のあとに、ちゃんだなんて…、しまった! と思う。

 けれどもなぜか、気にしているのは、ぼく本人だけだ。学生さんは、あたりまえのように、にっこりしながら、そんなぼくの話し相手をしてくれているみたいだった。

 言葉の障害で、だいぶ知能も低い、というふうにみえていたかもしれない。それなら、それでもかまわない。女の学生さんはそれで上から見くだす態度になるわけでもなかった。そんなことより、この学生さんには、それなりの心づかいさえあった。やさしい人で、よかったなぁ、と、ぼくはそれが身にしみた。

 多少の誤解なんて、気にしたところで、なんにも始まらない。逆に、完ぺきに理解し合える人との関係なんていうのも、しょせんは、あり得ないものだろう。くよくよするのは、よそう。

 ぼくも、舌がうまく回らず、赤ちゃんの言葉になっても、CMの役所広司さんみたいに、あたりまえにしていよう。

「ダイワハウチュで…」

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