〈働かざる者〉とは…
静かなピアノが、朝日のあたるアパートの部屋に流れる。割りばしをつけたサンバイザーをかぶり、あたまを動かしながら、パソコンのキーを打っていく。
からだじゅうに力が入り、手足があまりいうこと利かない。ときどきかってに動く。舌がもつれ、言葉がはっきりしないのも、脳性まひ、という運動神経の障害によるものだ。作業時にかける音楽は、シンプルなピアノやギターの音色が、体の障害からくる筋緊張を和らげてくれる。
思うように力を抜くことができず、ときどき息が苦しくなって、いくぶん顔が赤くなるときもある。
電動車いすで街中へ出かけ、そこにBGMが流れていると、知らない人には酔っぱらったタコが、踊っているようにもみえるらしい。あるいは、知的に重度の障害のある方とまちがう。街中にひとりでいるのを心配なさって、
「ぼく、だいじょうぶ…」
と、声をかけてくださる方もいる。四十四歳のオッさんは、もしできれば大人として接してほしい、という気もなくはない。ふだん脳性まひ、という障害のある人と接点がなければ、そういう症状はわからないし、ぼくだって同じようにしていたかもしれない。
だからこそ、いろんなひとの目に触れるところで暮らしたい。障害者施設を出て、地域のアパートで暮らす道を選んだ理由のひとつでもある。
そう決心し、地元の自立生活センターの協力で実現した日から、どれぐらいたつだろう。
二、三時間おきに訪問ヘルパーさんがみえ、必要な介助をしてもらう。あとはひとりで集中しながらパソコンに向かう。あるいは用がすんでヘルパーさんが帰るとき、外の電動車いすへ乗せてもらい、ひとりで近くの公園へ行ったり、ショッピングセンターの売り場を見てまわったりする。いまはそんな日々である。
いろんなふうに声をかけてくださる方はあるけれど、誤解があったとしても、あたたかく見守ってくださる方たちの気持ちをたいせつにしたい。こんにちわ、と声がかかる。急に言葉が出ないので、軽く会釈すると、
「がんばって…」
とあたまをなでる。年配の主婦の方かと見上げれば、中学生のかわいい娘さんだったこともあった。そういう子は、生まれながらのお母さんタイプなのだろう。しっかりした両親の背中を尊敬のまなざしで見て育ったのかも知れない。
この場合、ぼくはどうしていいのか。四十を過ぎたオッさんとしては、途方に暮れてしまう。手はいかないけれど、頭もかきたくなる。
「あはっ、あはっ、ど、どうも…」
なぜかあわて、おじぎして別れる。どちらかといえば、心ない言葉を投げかけられることのほうが多い。そんななか、こういう心優しい子に出会うと、砂漠でオアシスをみつけたような、救われた思いになる。
道を行く。どこにでも落ちているゴミばかり気にして文句たらたら行くか。風にゆれるちいさな草花に心をとめ、楽しみながら行くか。いつか終わる同じ道なら、きっとあとのほうがいい。そんな意味の話を書いていたのは、作家の五木寛之さんだったろうか。
若いころは、このたとえもなっとくいかない気がしていた。年を重ねたいまはしみじみと心にくる。
手足も口も思うようにならない。けれど、むかしむかしの物語には、足の不自由な人が、田んぼの見張りをしたことが記されている。情報屋のようなことをしていた、ともいう。たしかに、
「カタワ」
とか、
「ツンボ」
とか、呼ばれていたけれど、いまの感覚とはちがって、もっと親しみがこもった呼び名だったのかもしれないと、その時代のその集落に思いをはせる。言葉のニュアンスは、状況や時とともに変化していくものだろう。
いろんな人の視野に入るところで、障害があってもそれぞれの状態に合った役目を持って暮らしていた。そんな社会が古代にあったと知って感動した。
生まれてきたかぎりは、どんな命にも役目がある、という哲学もある。
ひところ、
〈働かざる者は食うべからず〉
という格言めいたものが、さかんに言われていた。だから障害者は食うべからず、ともよく言われ、傷ついていた若い時代もあった。
気になってその出所を調べてみた。戦後の日本の復興のためのある政党のスローガンだと知った。元は聖書にあって、ニュアンスがちがっていた。ぼくはキリスト教でもなく、手元にないので記憶にたよる。
〈働きたくない者は、食うべからず〉
あるいは、
〈働く意思のない者は、食うべからず」
そんな表現だった。
〈働けても、その意思のない者〉
なのである。
〈はたらく〉ということばも、いまは主に収入を得る意味で使っている。ところがむかしは〈はたをらくにする〉という意味だったという説もある。だから、
〈ひとの楽を支える〉〈人を喜ばす〉〈人を元気にする〉〈人を笑顔にする〉、たとえ寝たきりだの方だって、それがあるかぎり、働いていることになるのだ。つらいのは、仕事も障害も病気だって、ある意味同じだろう。その代償としての、収入の出所がちがうだけだ。
食うべからずとはつまり、その逆をしている人へ向けた格言だ。不満があると、関係のない他への誹謗、中傷、弱いものいじめにはしる。はたを苦しめようとする輩である。
なんだかいやな迷惑メールがあって、むずかしい話にいってしまった。
パソコンの横の置き時計をちらっと見る。
「えっ、もう夕方の五時半になるか。あぁ、ちょっと、体がつらくきなってきた。休もう」
BGMも、途中にヘルパーさんがみえ、パソコンをいったん離れるときにとめてから、そのままだった。
指がひらかないので、げんこつの角でコンポのボタンを押す。アーチストで〈いきものがかり〉を選ぶ。〈明日へ向かう帰り道〉の曲が始まる。
ひとかけらの不幸せと~
ひとかけらの幸せと~
ヴォーカルの吉岡聖恵さんの優しくつつみ込んでくれるような歌声に、疲れが癒される。
──あぁ、いいなぁ。またがんばろ…。
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